教育と脳

大島潜居となった西郷吉之助はこの機会に書物を読むことにしました。書物を読みすぎると何事に対しても決断できず「迷ってばかりいる人間になる」のではないかと大久保一蔵は心配しましたが、大久保の父次右衛門は次のように述べたそうです。「そげん人間は、もともとぐずなんじゃ。(中略)書物を読んだおかげで、阿呆になるだけは助かったのよ。すぐれた気象のある者は、書物を読むことによって判断が正確になるが、そのためにぐずなぞにはなりはせん。書物を読んでぐずになるような人間は、はじめからすぐれた気象などなかのよ」[注1] 。

 

11歳の時に知能テストを受け、その後高齢となってからMRI検査を受けた617例(平均年齢72.7歳、46.2%が女性)を対象としたもので、教育期間が長いほど大脳皮質は厚かった(発達していた)という報告があります[Ref. 1] 。有意な相関のあった(両側の)側頭葉、内側前頭葉頭頂葉、感覚野、運動野のうち、11歳時の知能指数で補正すると、教育歴の長さと相関があったのは両側側頭葉上部のみでした。これはどういうことかというと11歳までに獲得した知能の方が、その後の教育効果よりも重要な影響を脳におよぼしているということです。幼少時の知能指数を考慮してこなかったこれまでの報告は、(11歳以降の)教育効果を過大評価している可能性があります。つまり、もともと頭の良かったヒトが教育を受けると「とても頭が良く」なる?—ということではないでしょうか。それとも10歳以前の幼児期からの教育がとても大事ということかもしれません。

 

教育と認知症について、69もの観察研究をまとめたメタアナリシスがあります [Ref. 2] 。これによると教育期間が短いと認知症は増加します(オッズ比と95%信頼区間は、認知症の頻度に対して2.61 [2.21-3.07]、発症率に対して1.88 [1.51-2.34])。明らかに教育には認知症の予防効果がある(らしい)のですが、観察研究から言えることには限界があります。よく計画された観察研究でも、因果関係について論じるには十分強力とは言えないことが多いのです。ましてや個人の感想などほとんど無意味です。なぜ、教育に実験が必要なのか?教育の効果をきちんと検証するには、ランダム化比較試験が必要となります[注2] 。ランダム=無作為とは、「意図的に手を加えることなく偶然にまかせる」ことであり、ランダム化により「検定したいある・・因子」以外のすべての因子は群間で同じとなります。したがってランダム化比較試験により群間に有意差が出た場合、その結果の原因は「特定のその・・因子」であると結論することができます。このようなランダム化比較試験という「実験」を駆使して、教育経済学は「どういう教育が成功する子供を育てるのか」という強力なエビデンスを示すことができるのです。

 

注1:西郷と大久保(海音寺潮五郎新潮文庫

注2:「学力」の経済学(中室牧子、デイスカバー・トウエンテイワン)

Ref. 1: Cox SR, Dickie DA, Ritchie SJ, Karama S, Pattie A, Royle NA, Corley J, Aribisala BS, Valdés Hernández M, Muñoz Maniega S, Starr JM, Bastin ME, Evans AC, Wardlaw JM, Deary IJ. Associations between education and brain structure at age 73 years, adjusted for age 11 IQ. Neurology2016;87:1820-1826.

Ref. 2:MengX, D'ArcyC. Education and dementia in the context of the cognitive reserve hypothesis: a systematic review with meta-analyses and qualitative analyses. PLoS One2012;7:e38268.