ビンスワンガー病について

ビンスワンガー病というのは広汎な白質病変が特徴的で、多発性のラクナ梗塞を伴う血管性認知症の一種です。白質病変とラクナ梗塞の組み合わせということでは、血管性認知症もしくは血管性認知障害の典型的な病型とも言えます。自験例を提示します。この症例(64歳、男性)は、30歳の時に高血圧が見つかっています(拡張期血圧が100〜110 mmHgとかなり高かった)。45歳の時に突然右の片麻痺が出現し、1ヶ月ほどで軽快しました。緩徐に進行してきた認知症の精査のために59歳の時に大学病院内科に入院しました。訪室すると仰向けに寝そべって、意識も身体機能にも問題ないのに、動かない、静か、ボーとした印象を受けました—今となって考えるとアパシーだったのでしょう(当時はアパシーという言葉を知りませんでした)。血圧158/102 mmHgと高血圧があり、右半身にほとんど分からないくらいの軽い麻痺がみとめられました。退院後は高血圧の治療を外来で続けて、特に変わったことはありませんでしたが、妻によると「だんだん静かになり、外出しなくなった」とのことでした。64歳の時にポジトロンCTを含む再評価を行いました。ポジトロンCTでは、脳血流と酸素代謝は共に病変のある深部白質領域で低下し、さらに明らかな異常のない大脳皮質前頭葉領域でも低下していました。ビンスワンガー病で認知機能が低下する機序は、広汎な白質病変(と多発性ラクナ梗塞の合併)により神経伝達が障害され(機能的離断と言います)、脳梗塞などの病変がない大脳皮質の機能が低下することです[Ref. 1] 。さらに認知症発症以前にポジトロンCTを行なうと、深部白質領域に脳血流は低下していても、(血液中から酸素を取り込む割合[酸素抽出率] を上げて)かろうじて酸素代謝は保たれている領域—貧困灌流と言います—が見られることがあります[注1] 。この貧困灌流の状態で長く持ちこたえることはできないので、やがて深部白質領域は虚血障害の状態となり、機能的離断により大脳皮質—特に前頭葉—の機能が低下し、血管性認知障害となります[Ref. 2] 。最近、ラクナ梗塞の患者の中で深部白質病変が中等度以上の群では(軽度以下の群と比較して)貧困灌流の状態にあることが示されています [Ref. 3] 。このような脳循環代謝の異常は血行力学的に脆弱な半卵円中心部(深部白質領域)にみとめられています。長期間持続した高血圧があると、主要な血管支配領域の「はざま」で脳循環が障害されやすく、白質病変を生じるのでしょう。

 

一つの大きな疑問は、全く認知症の無い健常高齢者でも2%くらいの頻度で(ビンスワンガー病と言ってよいほどの)広汎な白質病変があることです。このような広汎な白質のある健常高齢者では、ラクナ梗塞の合併頻度(もしくは合併するラクナ梗塞の数)は少なく、深部白質や前頭葉の脳血流は低下していません[Ref. 4] 。つまり健常高齢者の「広汎な白質病変」は(それ自体はMRI画像上ではビンスワンガー病の白質病変と区別できなくても)認知機能を大きく損ねることはないのです。とは言え、先に述べたようにメタボリックシンドロームや炎症はゆ合性以上の白質病変を引き起こし、次に述べるように、ゆ合性以上の白質病変となるとアパシーを引き起こすことがあり、白質病変の存在は(特にゆ合性以上のものは)無視できるものではありません。

 

脳血管性認知症アルツハイマー認知症の概念が確立したのは20世紀初めのことでしたが、脳血管性認知症の症状についてはそれ以前に記載があります。原田さんの文章を盛大に引用します[注2] 。「めまい、頭痛、疲労感、不眠などの身体症状が出現し、記憶が衰え、慣れた行動ができなくなる。感情易変、焦燥がある。このような前駆症状が長くあるいは短く続く。そのうち卒中発作が起こる。晩かれ早かれ片麻痺や舌下神経、顔面神経の一側性麻痺を示す。失語も稀でない。妄想観念を示すこともある。これらの状態が全く回復することもまれでない。卒中発作は再び起こり、そしてまた回復がある。しかし、次第に持続的な精神能力減弱状態に陥る。夜のみ精神症状が現われ昼はほぼふつうの生活ができることもある。記憶力障害は現在に関する忘却が高度なのに対して、過去のこと、特にずっと昔のことはしばしば驚くほどよく保たれる。動機なく急に泣いたり抑うつになったりするのが、この病気の人に独特である。徘徊し、制止されると怒る。不穏と傾眠が交代してみられる。最後は寝たきりとなる。心臓や血管に硬化性疾患を合併していることがまれでない。(一部略)」ここでは我々の時代の診断基準において重視されている項目が驚くほど正確に記載されています。その後、脳血管性認知症がはっきりとした臨床単位として取り上げられたのは、1894年のドイツ精神医学会年次総会でした。この学会において、ビンスワンガーはのちにビンスワンガー病と呼ばれることになる「皮質下脳炎」および「動脈硬化性脳変性」の二つの病型を指摘しました。次いで演壇に立ったアルツハイマーは、ビンスワンガーが述べた二番目の病型に相当する「動脈硬化性脳萎縮」について報告しました。このような経過を経て、脳血管性認知症の概念が成立したのは1904年ごろのことと考えられています。今日ではアルツハイマーの方が圧倒的に有名ですが、脳血管性認知症の概念の確立に深く関わったビンスワンガーはアルツハイマーと同時代のヒトだったのです。

 

注1:貧困灌流の状態では、脳血流が減少して、動脈血中の酸素を脳に取り込む比率を上げることで酸素代謝はギリギリでも保たれているので、厳密な意味では「虚血」ではありません。虚血とは正常な酸素代謝を保てなくなった状態です。貧困潅流でギリギリ酸素代謝が保たれている状態は「乏血」と言います。

注2:原田憲一. 血管性痴呆およびアルツハイマー型痴呆概念の誕生. 100年前の医学史回顧—その1. 血管性痴呆. 精神医学37:1132-1146,1995.

Ref. 1: Yao H, Sadoshima S, Kuwabara Y, Ichiya Y, Fujishima M. Cerebral blood flow and oxygen metabolism in patients with vascular dementia of the Binswanger type.Stroke1990;21:1694-1699.

Ref. 2: Yao H, Sadoshima S, Ibayashi S, Kuwabara Y, Ichiya Y, Fujishima M. Leukoaraiosis and dementia in hypertensive patients.Stroke1992;23:1673-1677.

Ref. 3:Nezu T, Yokota C, Uehara T, Yamauchi M, Fukushima K, Toyoda K, Matsumoto M, Iida H, Minematsu K. Preserved acetazolamide reactivity in lacunar patients with severe white-matter lesions: 15O-labeled gas and H2O positron emission tomography studies. J Cereb Blood Flow Metab2012;32:844-850.

Ref. 4: Yao H, Yuzuriha T, Fukuda K, Matsumoto T, Ibayashi S, Uchimura H, Fujishima M. Cerebral blood flow in nondemented elderly subjects with extensive deep white matter lesions on magnetic resonance imaging. J Stroke Cerebrovasc Dis2000;9:172-175.