脳の健康状態が良いということ

健康なまま長生きするためには何が必要でしょうか?「長生きできても、ボケたり、寝たきりはイヤだな」と誰もが思っています。年をとって必要なものはお金(と筋肉)でしょうか?「あたしが心配なのは、お金がない人生じゃなくて、やりたいことのない人生だよ」という意見もあります(注1) 。「やりたいことのある人生」でないと、健康なまま長生きできないことは直感的にわかります。「やりたいことのない人生」だと健康なまま長生きどころか、余生の暇つぶしもできません。「やる気」はむりやり出させるものではなく、内側から勝手に出てくるものです。「脳が健康」でないと「やる気」が勝手に出てくることはないでしょう。そうであれば、健康なまま長生きするために必要なものは、「脳の健康」状態が良いことではないでしょうか。

 

注1:多眼思考(ちきりん、大和書房

サプリは認知症を予防しないと思うのだけど----

サプリ、健康食品、認知症をキーワードとしてググってみると、実に様々な広告が出てきます。例えば、ご家族のケアには記憶力を維持する機能性表示食品の「〇〇〇〇EX」。/ 青魚のサラサラ成分DHAEPAを600 mgも贅沢配合!ヨーロッパでその価値が研究されている「イチョウ葉エキス」に加えて、人間に不可欠なDHA、αアルファ−リノレン酸を豊富に含有する「アマニ油」「シソ油」と「ビタミンE」が複合的に働きます。/ すべての世代にうれしいビタミンを1粒に閉じ込めました。/ 大豆に含まれるレシチン神経伝達物質をつくり、認知症を劇的に改善しているという事実。(筆者注:そんな事実はありません)/ 〇〇の「ホスファチジルセリン」は、大豆約1,222粒分ものホスファチジルセリンを配合しました。冴えた毎日に欠かせないDHAと、さらさらな流れをサポートするEPAもプラス、などなどやりたい放題です。

 

店頭で売られているサプリ(注)は認知症を予防するか? 全く効果なし。以上!です。もう少し丁寧にみてみると、データベース検索において11,087件の論文がヒットし、タイトルと抄録を読んで9,487論文を除外、手作業で見つけた185論文を加え、そのうち1,415の論文を読み込んで、最終解析すべく残ったのが56の研究でした。その56研究全てにおいてサプリによる認知症予防効果はありませんでした。やれやれという感じでしょうか。

 

—と書いてから約5年がたちましたが、状況はあまり変わらないようです。

認知症は予防する時代となってきているので、サプリで認知症が予防できるかは興味深いところですが、かなり否定的であることは上述したとおりです。健常高齢者を対象としたビタミンB群(B1、B6、B12、葉酸)の認知機能におよぼす効果を検証したメタアナリシスによると、ビタミンB群による認知機能低下の抑制作用はみとめられませんでした。他のメタアナリシス(対象はMCIと健常高齢者)では、ビタミンB群によって全般的認知機能に改善がみとめられましたが、情報処理速度、エピソード記憶、遂行機能には有効性をみとめませんでした。全般的認知機能に改善がみとめられたといっても、その効果は小さく、(社会全体に対する効果は別としても)個人に対して明らかに「効く」とは考えにくいようです。注意すべきは、この2つの論文があつかっているのは「認知機能」であって、「認知症の発症」ではないことです。サプリによる認知症の予防効果はないのです。

 

注:評価されたサプリは、オメガ3脂肪酸、大豆、銀杏の葉エキス、ビタミンB群、ビタミンDとカルシウム、ビタミンE、ビタミンCとベータカロテン、マルチビタミンです。

「動かない」とヒトは病む2

動かないからボケたのか、ボケたから動かないのか?どちらか分かりにくいこともあります。身体活動度と認知症発症の関連をみた研究では、身体活動度が低下していると追跡開始から比較的すぐ(10年以内)に認知症を発症していましたが、追跡期間を通しての身体活動度と認知症発症には関連がありませんでした。したがって身体活動度低下は本当のリスクではなく、認知症になりかけた状態で動かなくなっているという結論です。しかし、この結果は認知症一歩手前で短期間でも身体活動が低下すると、坂道を転げ落ちるように認知機能が低下して、明らかな認知症となってしまうという解釈も可能です。

 

—と書いてから約5年が過ぎて、結論は大きく変わってきた。

 

アルツハイマー病の経過は長いため中年期での身体活動度の評価と20年以上の追跡が望ましいという前提で行なわれたメタアナリシスがあります。このメタアナリシスでは、長期間の追跡調査においても、高い身体活動度は認知症全般とアルツハイマー病を減少させていました。身体活動度の量(高齢期に測定)としては、週に3時間以上もしくは9 MET(注)以上により認知症は減少しましたが、6時間以上もしくは18 MET以上では頭打ちとなっていました。

 

からだをよく動かすヒトはアルツハイマー病になりにくく、「動かない」とヒトは病む(ボケる)のです。

 

注:METmetabolic equivalent of taskの略です。1 MET1 kgの体重あたり1時間に1 kcalを消費する活動量で、おおよそ静かに座っている時に消費するエネルギーに相当します。

ワインは脳に良い!?

ワインの定義は「ぶどうから作られるが、ぶどうジュースではないもの」(あくまで素人の個人的な意見)です。ぶどうに限らずジュースは甘くて均一で、全体主義国家のようです。一方、ワインはブレンドしなくても(フランスワインの強みはそのブレンド技術だそうですが----)、複雑性があり、作り手が違うと、予測不可能な多様性が生じます。高濃度のアルコールで、酔うことさえできればよいという「アルコール原理主義」とは正反対のものです。

 

軽度から中等度飲酒の観察研究(一般住民589人、平均80.1歳)では、総アルコール摂取量とワインの摂取量が全脳容積と正の相関がありました。ビールと蒸留酒には同様の関係はなかったので、保護効果は主としてワインによります(ワインを飲むと脳が萎縮しにくい!)。軽度から中等度飲酒による認知症予防や脳保護効果が、お酒の種類ではワインにあることがしばしば報告されています。システマティックレビューで見つけた16の研究のうち、12がメタアナリシス(定量評価)に用いることができました。ワインによる認知機能低下のリスクは0.72と約3割減でした。WHOが推奨している男性30グラム/日、女性20グラム/日以下の飲酒では認知機能低下のリスクは0.59(4割減のリスク)でした。赤ワインと白ワインの差は解析できませんでしたが、適量のワインに脳保護効果があることは(少なくとも観察研究からは)信頼性のある事実のようです。

 

ワインの脳萎縮軽減(保護)効果は、特に赤ワインに多く含まれる抗酸化物質(フラボノイドとポリフェノール)によると言われていますが、実はワインを飲むヒトの食生活や生活習慣が良いからかもしれません。本当にワインに脳保護効果があるのか、確認するためにはランダム化比較試験が必要です(が、実施は不可能でしょう)。ですから「適量のワインなら飲んだほうが良い」とは言えません。

シュペルヴィエルの馬について

「動作」というタイトルのシュペルヴィエルの詩の始まりは—ひょいとうしろを向いたあの馬は / かつてまだ誰も見た事のないものを見た / 次いで彼はユーカリフスの木陰でまたくさを食い続けた。2つ段落を飛ばして、最後の4行は以下のようになります。それは、地球が、腕もとれ、脚もとれ、首もとれてしまった / 彫像の残骸となり果てる時まで経っても / 人間も、馬も、魚も、鳥も、虫も、誰も / 二度とふたたび見ることの出来ないものだった。

高校の現代国語の授業で討論した時、公害などの、人間による愚かな行為により廃墟となった地球(の予感?)を馬は見たのではないか、という意見が多かったことをおぼえています。が、この意見は、作品をありのままに読むというよりも、自分の頭の中にある思い込みにそうように解釈しただけです。「腕もとれ、脚もとれ、首もとれてしまった、彫像の残骸となり果てた地球」のことを作者は述べたかったのではありません。その馬の動作を描写したかっただけなのです。「描写したかっただけ」なのに、17行の完璧な言葉が必要だったのです。これを虚心坦懐に読めば心地よいのに、なぜ、わざわざまちがった解釈に飛びつくのでしょうか。

健康問題でもそうです。正しい知識はすぐそこにあるのに、目の前にあるウソの健康情報に簡単にだまされてしまいます。ウソの情報ほどおもしろそうなので、はやる気持ちを抑えられないのでしょうか?シュペルヴィエルの馬のことを思い出すたびに、健康になるためにも「読解力」(それとわずかばかりの心の余裕)が必要だなと思うのです。

ウソの健康情報への対処法

医療情報についての思い違いや非論理的解釈、迷信は医療に混乱をもたらします。これは以前からあった問題ですが、インターネット時代においては新たな局面を迎えたようです。ソーシャルメディアでは間違った情報を見つけることは容易で、ウソは真実よりも速やかに拡散します。ウソの情報の方が目新しく見え、感情をかきたてるからです。ロボットに情報を拡散させると、ウソも真実も平等に拡散させるそうですから、ウソが真実よりも速やかに拡散するのは「人間らしい、心温まる」現象なのでしょう。

 

そうは言っても、ウソの医療情報を信じて、良いことは一つもありません。ちょっとした気分転換にはなるかもしれませんが、脳の平和 [注1] は得られません。エビデンス無視の自由診療ビジネスに取り込まれて、お金ばかりか命まで危うくすることになりかねません。医療情報の健全性を保つには、まず(専門領域の)医師が情報の発信元(原著論文)を正確に理解しておくことが重要です(忙しいっていうな!自分の専門分野の論文くらいちゃんと読めよ! [注2] )。患者側からすると目についた(気になってしかたがない、その)情報の1ページだけコピーして持参し、かかりつけ医に相談してはどうでしょうか。

 

ウソではないがタチの悪いものもあります。○○○○に対する外科手術が自閉症を改善すると主張する脳外科の医師がいらっしゃいます。そのことを口コミで聞いて、私に相談が来ました。その手術と自閉症についてPubMedで調べてみると ○○○○ AND autism → 28件で、まともな治療法でこんな数字はありえません(少ないし、論文の質も悪い)。その脳外科医の原著論文はPubMed検索で8件あり、主要な論文5編がすべて同一雑誌です。これらはエビデンスとしてはほぼ「ゼロ」と判断されます。手術(にまつわる様々なこと=文脈効果)で症状が良くなることは確かにあるのでしょうが、症状の改善が手術(自体)によるのではないということです。素人が(医療従事者でも当事者ともなれば)「私はこれまで500例以上手術して症状が改善することを確認している。本も書いているし、英文原著論文でも発表している」と言われれば、洗脳とは言わないまでも、信じてしまいます。ワラにもすがった後は、確証バイアスに支配されて、正常な判断はできなくなってしまいます。これは人間の本性なので、回避することは不可能でしょう。信じ込んだヒトに「それは科学的には無意味」とかいうと、「冷たい」とか「親身になって話を聞いてくれない」とか「ひとでなし」[注3] とか言われることでしょう。当事者の方はその方面に詳しい医師を探して相談して欲しいですし、相談された医師が「ひとでなし」ではないことを祈るばかりです。

 

注1:”Peace of brain”— 映画「メジャーリーグ3」から

注2:すみません。ついとり乱してしまいました。

注3:浅田次郎さんは「私はろくでなしであるが、ひとでなしではない」と言っています。

浅田次郎、勇気凛々ルリの色、講談社文庫)

生涯持続するモチベーションを形成することが教育の目的?

私は「教育」の専門家ではありませんが、一般住民の脳MRI健診のデータから、「教育」の効果についてどのように考えているか、私見を述べたいと思います。20162021年の受診者(509人、平均年齢70.1歳)の認知機能にかかわる因子について、構造方程式モデリング(注)により解析してみました。通常の認知機能検査(ミニメンタルテスト、Montreal Cognitive Assessment [MoCA] )と二重課題歩行、主観的認知機能障害の4変数から定義した潜在変数としての認知機能低下に関与するのは、年齢、海馬萎縮、少ない運動習慣(有酸素運動)でした。「教育」は認知機能との直接的相関はなく、アパシーを軽減もしくはやる気を増強し、運動習慣を介して認知機能を良くするように解釈されます。教育効果とは「脳トレ」ではなくて、モチベーションを上げることなのかもしれません。

注:構造方程式モデリングとは、因果関係や相関関係を簡単な図式で表現したパス図の図形ごと統計解析を行なう手法の一つ。